2016年11月21日
性愛は繊細な世界
性愛はとても深い、そして繊細な世界。デリケートな分、とても傷つきやすい。
上手くいけば天国にもなり、下手すれば地獄にもなる。
誰でも性愛の場面で傷ついたり嫌な思いをした人はいると思う。女性も男性も・・・・・。
自分の体験を振り返ってみました。
性的な場面で最初の嫌な思い出は小学生の時に男子にパンツに手を入れられたこと。
私のショックに比べたらその子はへらへらしていたし、私も両親や先生に話すこともなく終わってしまった。
ここで書くのが初めてというくらい誰にも言えなかったこと。
だけどあの不快感とショックは今でも残っている。
今の自分なら正々堂々と異議を唱えてその子がきちんと悪かったと思うまで対処できるけど・・・・・・当時は幼かったしそんな勇気もなかったの。
私は痴漢やセクハラ行為の体験が少ないけど、その瞬間に味わった不快感、蔑ろにされた感覚は一生残り、性に対する恐怖心や警戒心を持ってしまう。
子供の頃から男女間のNGを知ってお互いを大事にできるような感覚を育てられれば、と思うのです。
そしてそんな行為を受けた時にきちんと怒りを発したい。自分の尊厳を守りたい。
性行為で傷つく瞬間は、一方的に道具にされているように感じる時。
女性なら誰でも感じた経験があるかもしれない。
身体を重ねてるのに寂しい。好きな相手でもそう感じる瞬間はある。
もちろん、大抵は自分を満たしたい肉欲や性欲があって交わるのだけど、これは満足に繋がってこれは不満足に繋がるという微妙なボーダーラインがあるのですよね。道具になってる感も信頼ベースで遊んでいるなら快感に繋がるケースもあるかもしれないし・・・・。
相手を、自分を、信じられない時には寂しくなる。
やさしく見つめてもらうだけでそんな誤解は吹っ飛ぶこともある。
そんなつもりじゃないのに、誤解が誤解を呼んでいくような面が性の場面ではある。
だからこそ、正直なコミュニケーションが大切なのね。
イクふりをする、というのも、つらくない?
戯れることは大好きだけど挿入が苦手な女性が、彼ががんばればがんばるほどイク演技に力を入れなければならなくて~って言ってた方がいたのですが、彼に率直にそれは気持ち良くないと伝えて演技から解放されるといいですね。本人の選択ではあります。
避妊しない、というのもそもそも女性の身体への尊重や気遣いがないわけだから有り得ない。
「生理が来なかったらどうしよう~」とおののきながら過ごす時間は悲しい。
そこも男性任せにせずにきちんと話す勇気が必要だなと感じる。
私は望まない妊娠で堕胎したことがありますがその悲しみや絶望感をパートナーに理解してもらえず怨念になってしまい「いつ、この男の目の前で喉をかききって死んでやろうか」(=私の苦しみを目の前でみせてあげましょう、死んでいく姿を思い出す度にあなたは私の苦しみを知るでしょう)と暗く真剣に考えていました。
そんなわけで私の中に傷ついた末の男性不信があって、何かあるたびに「ほら、やっぱり、男の人なんて信頼できない」と閉じて行く自分がいました。
男性は自分の体験を話す機会も少ないと思うのですが、男性でも逆に女性恐怖症になったり自信を失うことはあると思う。
しかし。
以前の私同様、コワイ触らない、で人生歩いている人は自分自身に蓋をしているので苦しそう。
でも、そういう本人こそ、よく言うの「幸せ」って(笑)たぶん言い聞かせてる。
人は避けているものに自然と足を引っぱられる。バランスの悪さが何かの拍子に出てしまう(仕事であったり人間関係であったり)
幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ!で
私が出した結論は「男性の傷は男性で癒す」しかない。「女性の傷は女性で癒すしかない」
男性と不幸な体験をしたなら、その倍以上男性との幸せな体験をしていくしかないと思いました。
そして何より自分がハッピーになってく!!それ以外にない。
私が私のためにちゃんと生きてどんどんデータを新しくハッピーなものに書き換えていくのだ~。
そう決心してからは、いつも被害者になってぶーぶー言ってる自分や、「いい男いない症候群」から脱することができました~
自分の身を安全地帯に置いてアレコレ言うよりも、欲しいものはとっとと取りに行け!ってことなのね!
性愛って根本だから性愛の姿勢を変えるだけでも万事に通じる、ような気がします。
チバU子
上手くいけば天国にもなり、下手すれば地獄にもなる。
誰でも性愛の場面で傷ついたり嫌な思いをした人はいると思う。女性も男性も・・・・・。
自分の体験を振り返ってみました。
性的な場面で最初の嫌な思い出は小学生の時に男子にパンツに手を入れられたこと。
私のショックに比べたらその子はへらへらしていたし、私も両親や先生に話すこともなく終わってしまった。
ここで書くのが初めてというくらい誰にも言えなかったこと。
だけどあの不快感とショックは今でも残っている。
今の自分なら正々堂々と異議を唱えてその子がきちんと悪かったと思うまで対処できるけど・・・・・・当時は幼かったしそんな勇気もなかったの。
私は痴漢やセクハラ行為の体験が少ないけど、その瞬間に味わった不快感、蔑ろにされた感覚は一生残り、性に対する恐怖心や警戒心を持ってしまう。
子供の頃から男女間のNGを知ってお互いを大事にできるような感覚を育てられれば、と思うのです。
そしてそんな行為を受けた時にきちんと怒りを発したい。自分の尊厳を守りたい。
性行為で傷つく瞬間は、一方的に道具にされているように感じる時。
女性なら誰でも感じた経験があるかもしれない。
身体を重ねてるのに寂しい。好きな相手でもそう感じる瞬間はある。
もちろん、大抵は自分を満たしたい肉欲や性欲があって交わるのだけど、これは満足に繋がってこれは不満足に繋がるという微妙なボーダーラインがあるのですよね。道具になってる感も信頼ベースで遊んでいるなら快感に繋がるケースもあるかもしれないし・・・・。
相手を、自分を、信じられない時には寂しくなる。
やさしく見つめてもらうだけでそんな誤解は吹っ飛ぶこともある。
そんなつもりじゃないのに、誤解が誤解を呼んでいくような面が性の場面ではある。
だからこそ、正直なコミュニケーションが大切なのね。
イクふりをする、というのも、つらくない?
戯れることは大好きだけど挿入が苦手な女性が、彼ががんばればがんばるほどイク演技に力を入れなければならなくて~って言ってた方がいたのですが、彼に率直にそれは気持ち良くないと伝えて演技から解放されるといいですね。本人の選択ではあります。
避妊しない、というのもそもそも女性の身体への尊重や気遣いがないわけだから有り得ない。
「生理が来なかったらどうしよう~」とおののきながら過ごす時間は悲しい。
そこも男性任せにせずにきちんと話す勇気が必要だなと感じる。
私は望まない妊娠で堕胎したことがありますがその悲しみや絶望感をパートナーに理解してもらえず怨念になってしまい「いつ、この男の目の前で喉をかききって死んでやろうか」(=私の苦しみを目の前でみせてあげましょう、死んでいく姿を思い出す度にあなたは私の苦しみを知るでしょう)と暗く真剣に考えていました。
そんなわけで私の中に傷ついた末の男性不信があって、何かあるたびに「ほら、やっぱり、男の人なんて信頼できない」と閉じて行く自分がいました。
男性は自分の体験を話す機会も少ないと思うのですが、男性でも逆に女性恐怖症になったり自信を失うことはあると思う。
しかし。
以前の私同様、コワイ触らない、で人生歩いている人は自分自身に蓋をしているので苦しそう。
でも、そういう本人こそ、よく言うの「幸せ」って(笑)たぶん言い聞かせてる。
人は避けているものに自然と足を引っぱられる。バランスの悪さが何かの拍子に出てしまう(仕事であったり人間関係であったり)
幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ!で
私が出した結論は「男性の傷は男性で癒す」しかない。「女性の傷は女性で癒すしかない」
男性と不幸な体験をしたなら、その倍以上男性との幸せな体験をしていくしかないと思いました。
そして何より自分がハッピーになってく!!それ以外にない。
私が私のためにちゃんと生きてどんどんデータを新しくハッピーなものに書き換えていくのだ~。
そう決心してからは、いつも被害者になってぶーぶー言ってる自分や、「いい男いない症候群」から脱することができました~
自分の身を安全地帯に置いてアレコレ言うよりも、欲しいものはとっとと取りに行け!ってことなのね!
性愛って根本だから性愛の姿勢を変えるだけでも万事に通じる、ような気がします。
チバU子

Posted by
U子
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21:12
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