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2018年06月05日

ほんとうにやりたいこと⑫愛すべき上司たち

このA社で派遣社員として過ごした10年近くの年月。

当時は先の人生も見えず、日々苦しかったけれど・・・・今となってはあの場所で得た宝物が何であったか理解できます。

A社では心で通じ合える愛すべき何人かの上司たちに恵まれました。
ご紹介して感謝の気持ちに替えたいと思います。

~D上司(当時、工場長兼常務)~
品質管理という部署に配属された私は、品質の認証資格維持のファイル管理も担当していました。
そこでやり取りするのがDさんでした。
世代も変わり、今ではみんなすっかり大人しくなって、伝説に残るようなクセのある名物上司は姿を消してしまってますが、この方は恐ろしく頑固の上、恐ろしく短気だったこともあり、在任中は力もあり悪評と好評にくっきり分かれています。
その性格ゆえ、犬猿の仲となっている相手も社内に数人はいました。
私とのやり取りは紳士的でお茶目で私は「おもしろい」と感じてました。
ある日、座りっぱなしでデータ入力の仕事が大変ツラくなり、これでは心もおかしくなりそう、と切羽詰った私はDさんに「営業部に配属を変更してほしい!」と思い切って切り出しました。
今の直属の上司は何を言っても「検討します」だけで手ごたえもなく、営業のF部長に使ってほしい、とも伝えました。
Dさんは「それは上司の逆指名、それは出来かねる」と突っぱねました。
筋が違うことにはきっぱりNOと言われます。
派遣社員という立場もわきまえず生意気だった私。
私は望みが叶わなければ退職するつもりで言いましたから、「ああ、もう終わりだな」と落胆しました。

すると翌日、Dさんが退職の決意をしている私を応接室に呼び出しました。

「私がすべて手筈を整えました。3月から営業に異動して下さい。さあ、行きなさい!」と。
私の無謀な賭けに応えてくださったDさん。
涙がこみ上げたことを憶えています。
私が謙虚に心を入れ替えて精一杯ここで成果を上げるよう仕事をすると決意したのはその時です。

このことについてはまた後日談があります・・・・・・。

私がA社を退職する際に、お別れ会を開いていただきました。
よく仕事で組んでお世話になった課長と帰る途中に、その課長が
「以前、部課長会で、通路側の席でいつも平気で寝ているチバさんが問題になったことがあって・・・・・一同がざわざわしているところに常務が一言言ったんだ「チバさんは寝ていません!」そのツルの一声でみんなが「しーん」となってもうその話題が終わってしまったことがあった、あの時は本当にびっくりしたよ」と思い出話を聞かせてくれたのです。
知りませんでした。
データ入力をやっていた頃、仕事が単調でついつい居眠りしていたのです・・・・。
自分は尖がったつもりでいい気になってましたが、実は大きな器に守られてたということ。

Dさんは退職後、単身赴任から東京に戻られ、数年に一度くらい「今、沼津に来ている」と急に電話がかかってくることがあります。
私も出来る限りお顔を拝見したく出かけていきます。
特別何かを話すわけでもなくてもDさんがお元気でいらっしゃることがただうれしい。
そこにあるのはただ、シンプルな揺るがない信頼、そんな気がします。

昨年の会話
「ところで、チバさん、税金は払えているのか?」
「いえ、ろくに払えておりません」
「たくさん払えるようにならんとダメだ!」と喝を入れられました。

なぜでしょう?
今でもDさんに言われると「その通りだ~!ほんとにガンバロー!」って素直に思えるのが不思議。

居眠り社員の私を見捨てずに育てていただいたんです。
私も人を大事にしたい、と大事にされたから思えるのです。


~E上司(当時、部長)~
Eさんは私と直接仕事で接することはほとんどありませんでしたが、なぜ上司なのか?
それはお金の上司です!(笑)
ため息をついて会社員生活をしていない、珍しい存在でした。
あきらめてサラリーマンしてないから会社でも言いたいことを言ってやりたいように生きてる。
なぜならクビになっても困らない財力を自分で作れるからです。

Eさんとは喫煙仲間でした。
当時の私、いつも休憩時間は喫煙所で煙草をぷかぷか吸ってました。
内心「やってられんわ、こんなとこ」みたいな感じで(笑)
そこで観察していて思ったことは、Eさんだけスーツや靴やバックのグレードが違うんです。
よく高級店の店員さんはその人の収入をぱっとみてわかる、と言うではないですか。
私もぱっとみてある程度わかります。大体、その会社の肩書で年収は当てられますよね。
その会社だとスーツはこんなところで買うってのも想像できます。
Eさんはずば抜けてます。たぶん、シャツからネクタイから海外ものでセンスもいい。「なぜ?」
次第にEさんと喫煙仲間として仲良くなり飲みに行ったりつるむようになり、その秘密を明かされることになります。

Eさんは高卒、校長先生である父親に反発して大学には進学しませんでした。
ところが、入ったA社はその学歴ではある一定のポストまでしか行けないことがわかってきました。
もちろんお給料もそこまでです。
しかも若い頃からハゲになり、当時は人生のコンプレックスで悩みまくったそうです。
そんな折、友人が事業に失敗し、奥様とコツコツ貯めてきたお金を奥様に無断で友人に貸してしまうのです。
その友人夫婦を家に引き取り面倒を見ます。
人生が変わったのはその時から。
友人の事業が好転し、配当がつき、自分もそこから事業に手を伸ばし始めたのです。
今でいうサイドビジネスで成功し、今では会社の給料などあてにしなくて良いようになったのだそうです。
ですから、会社では遊んでいる状態。
サイドビジネスでも今度は何をやろうか~みたいな発想力に長けています。
今通っている酵素風呂も女性専用なのでモニターになって入ってきてほしい、とEさんに頼まれたのがきっかけで知りました。
いつも何かの集まりの後で「飲みにいくか~」と声をかけるのはEさん、みんなぞろぞろついてきます。
もちろん全部Eさんのオゴリです。今はそんな上司は少ないかもしれませんね。
お金をどう使う?どう作る?お金のために人生をすり減らさない生き方って?てことをサンプルでみさせていただきました。

ヨットを自作したり水車を自分の庭に設計したり、楽しむことに夢中になるEさん。
奥様は現実派で花束を贈ったら「もったいない!」と言われたのだとか。

年賀状交換だけでここのところお会いしてませんが、好奇心いっぱいのままでいらっしゃるといいですね~。


~F上司(当時、部長)~

私が行き詰っていた時に「どうしたんだ~?」って唯一声をかけてくれたのが営業のF部長。
この人のところで仕事したいな、と勝手に押しかけ女房のように当時の常務にかけあって嫁入りさせてもらいました。

Fさんのところでの仕事は何でも屋です。
営業事務がメインでしたが、Fさんの思いつきでぱっぱと仕事が来る。
やれと言われたことは何でも自力でやりました。
一番面白かった仕事はあるコンビニ店に卸したポテトフライヤーのクレームの電話受付。
いきなり電話一本目の前に置かれて、今日からクレーム受付やってくれ、ということで(笑)
いやーな電話を楽しい電話にする技術を磨きました。

家庭じゃないけど、Fさんが会社に帰ってきてほっとできるといいなと思ってたかもしれません。
ですから、ある日、Fさんがある会議から帰ってきて「チバ~、オレ、クビだってよ」と言った時も・・・・・・・
本当はその場で泣きたいくらい悲しかったですけど「部長、それじゃ、今日から書類の整理をしていきましょう!」なんて気丈に振る舞って平然としたふりをしてました。

ある取引でお金が回収できなくなったことの責任を取っての依願退職。
実質は解雇のようなものでした。
会社のために新しい仕事を取ってくるぞ!という気概が唯一ある方でした。
保守的で自分の手を汚さずにそこそこソツなくやっていこう、という人が大多数の中、労を惜しまず働くことを知っている人。
私は会社の末端だからこそ、みんなのことがよく見えた。
交際費などお金の使い方、仕事への姿勢、人生観・・・。

Fさんの考えは自分の手柄は部下の手柄、部下の失敗は自分の失敗。
あらゆる場面でそれを目撃してきました。
確かに短所もあったけど、何だか許せる。

お別れ会では私、初めて泣きました。
すると「戦友だと思ってきたから、チバが泣くので女性みたいでビックリした」と言われたことを憶えています。

昨年かな?久々に小さい会社にいると聞いて会いに寄りました。
10年は経っていたでしょうか・・・・・とても懐かしかったですね。

他にもいい上司や同僚、仲間がいてくれて、今思い出すと私の派遣社員生活は幸せだったんですね。
本当に大事にしていただきました。
ありがとうございます。




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Posted by U子 at 19:47 Comments( 0 )