2017年04月14日
感謝の寄稿
恥ずかしながらのご紹介です。
これまで「愛校心」とも無縁な私でしたが、昨年、ふと思い立って高校全体の同窓会東京支部に出かけました。
卒業して何十年、母校に背を向けたまま、同窓会というものに出たのは初めてでした。
同じテーブルの学年の違う同窓生たちと共通の先生の話題で盛り上がるうちに私は担任だった皆川先生の思い出を語り、それを聞いていた役員の方に会報に書いてほしいとの要望を受けたものが先日発行されました。
決まった短い文字数の中でどのようにお伝えしたらいいかと迷いながら書いたのが以下の文章です。
念のため、病床の先生にお電話で先生のことを書いても構わないか尋ねましたら「どうぞどうぞ、好きに書いてください」とのことでした。
会報を見て「凡庸な私に対して、身に余る評価をしていただき、気恥ずかしい次第です」とお葉書をいただきました。
こういう大人でありたい、というのを示してくれる真の意味での先生だと感じます。
私もそんな大人になってみたい・・・そんな思いを込めて読み返しています。
皆川勇作先生の思い出
千葉 祐子(旧姓 安原)
(静岡在住)
私は高校時代、素行の悪い生徒でした。
遅刻、欠席、派手な服装など、両親や先生、大抵の大人たちは理解に苦しむとばかり顔をしかめて私を咎め叱りつけます。
けれど、一七歳の私はどうして自分がそのような行動に出てしまうのか良くわからず内側ではいつも苦しかったのです。
高三のクラス担任の皆川先生は不思議なことに他の大人とは全く違っていました。
お決まりの説教もしません。
私を見る時はにこにこ微笑んでいて、いつもさりげなく声をかけてくださる、ただ、それだけなのです。
その後私は進学、高校も先生のことも忘れ人生を漕ぎ出し、二十代、三十代、四十代と人生は形を変え、あっという間に過ぎ去りました。
様々な経験を得る内に、私は真理を求める気持ちが高まり、インド修行に度々出かけ、ヨガを教えるようになりました。
数年前の瞑想中、突然当時が思い出されました。先生が私の存在自体をただ受け入れて下さったこと、一見気弱そうにみえる先生の風貌とは裏腹に深い愛情で私をみて下さったこと、そして当時の私がその眼差しに救われていたことに気づいたのです。
卒業して既に三十年以上が経っていました。
先生の眼差しは風化することなくどこかで私を支えていたように改めて感じました。
いてもたってもいられず勇気を出して先生にお電話しますと、そこには相変わらずの先生がいらっしゃいました。
私のことを思い出して下さるとただにこにことお話を聞いて下さいました。
感謝の気持ちを直接お伝えできて本当に良かったです。
当時も未熟、今なお未熟な私ですが、私もそのような大きな心で人と触れあえたらと思います。
生涯の財産というものは目にみえるものだけとは限りませんね。
本当にありがとうございます。ここにてお伝えすることができたことにも心より感謝致します。
若かりし頃の先生 なかなかいい写真です❤

これまで「愛校心」とも無縁な私でしたが、昨年、ふと思い立って高校全体の同窓会東京支部に出かけました。
卒業して何十年、母校に背を向けたまま、同窓会というものに出たのは初めてでした。
同じテーブルの学年の違う同窓生たちと共通の先生の話題で盛り上がるうちに私は担任だった皆川先生の思い出を語り、それを聞いていた役員の方に会報に書いてほしいとの要望を受けたものが先日発行されました。
決まった短い文字数の中でどのようにお伝えしたらいいかと迷いながら書いたのが以下の文章です。
念のため、病床の先生にお電話で先生のことを書いても構わないか尋ねましたら「どうぞどうぞ、好きに書いてください」とのことでした。
会報を見て「凡庸な私に対して、身に余る評価をしていただき、気恥ずかしい次第です」とお葉書をいただきました。
こういう大人でありたい、というのを示してくれる真の意味での先生だと感じます。
私もそんな大人になってみたい・・・そんな思いを込めて読み返しています。
皆川勇作先生の思い出
千葉 祐子(旧姓 安原)
(静岡在住)
私は高校時代、素行の悪い生徒でした。
遅刻、欠席、派手な服装など、両親や先生、大抵の大人たちは理解に苦しむとばかり顔をしかめて私を咎め叱りつけます。
けれど、一七歳の私はどうして自分がそのような行動に出てしまうのか良くわからず内側ではいつも苦しかったのです。
高三のクラス担任の皆川先生は不思議なことに他の大人とは全く違っていました。
お決まりの説教もしません。
私を見る時はにこにこ微笑んでいて、いつもさりげなく声をかけてくださる、ただ、それだけなのです。
その後私は進学、高校も先生のことも忘れ人生を漕ぎ出し、二十代、三十代、四十代と人生は形を変え、あっという間に過ぎ去りました。
様々な経験を得る内に、私は真理を求める気持ちが高まり、インド修行に度々出かけ、ヨガを教えるようになりました。
数年前の瞑想中、突然当時が思い出されました。先生が私の存在自体をただ受け入れて下さったこと、一見気弱そうにみえる先生の風貌とは裏腹に深い愛情で私をみて下さったこと、そして当時の私がその眼差しに救われていたことに気づいたのです。
卒業して既に三十年以上が経っていました。
先生の眼差しは風化することなくどこかで私を支えていたように改めて感じました。
いてもたってもいられず勇気を出して先生にお電話しますと、そこには相変わらずの先生がいらっしゃいました。
私のことを思い出して下さるとただにこにことお話を聞いて下さいました。
感謝の気持ちを直接お伝えできて本当に良かったです。
当時も未熟、今なお未熟な私ですが、私もそのような大きな心で人と触れあえたらと思います。
生涯の財産というものは目にみえるものだけとは限りませんね。
本当にありがとうございます。ここにてお伝えすることができたことにも心より感謝致します。
若かりし頃の先生 なかなかいい写真です❤
Posted by U子 at 21:16│Comments(0)