2016年12月17日
なぜ性愛か?
12月25日に初めて「聖なる性を語る会」チバハウスにて開催します。
・・・・と言ってもどんなものがわかりにくいですよね。
今、なぜ「性」かをお伝えしてみようと思いました。
今、山田鷹夫さんの名著「超愛」を読んでいます。
山田鷹夫さんは時代の最先端すぎて理解できない方が多いのは少々残念ですが、私にとってはスーパースター(笑)
これまで性に関する本で感動したのは千賀一生さんの「タオコード」
夏目祭子(櫻祭子)さんの「知られざる最強の創造エネルギー なぜ性の真実『セクシャルパワー』は封印され続けるのか」
などがありましたが、「超愛」は表紙にドン引きされるかもしれませんが、内容は素晴しいです。
いろんな方々が性愛やパートナーシップについての発信をどんどんされるようになったのは偶然でもなく、人類の過渡期に必要な重要な動きだとつくづく思う次第です。
「超愛」その中で私が「膝を手で打ってしまう」ポイントを少しご紹介いたします。
あらゆる情報はお金を取ってまで教えるという親切さだが、セックスに関しては誰も声高に伝えない。セックスこそが愛の究極で、男と女を真に融合させるもので、この失敗がすべての争いの発端だとはだれも言わない。人類がセックスをマスターしたならばあらゆる問題は解決されるとは、だれ一人言わない。<中略> なんの努力もいらない。根源をあるべき常態に戻せば、そこから発生したすべての不調和は解消される。<中略>人類の病気は、つまり不調和の原因はセックスの失敗にある。
私たちの命が生まれる大元の大切な行為であるにも関わらず、私たちはそれをうまく扱うことも生かすこともできず右往左往している。
セックスの初期は肉体の歓びにあるけれど、それを極めていった先には肉体を超えた歓びが待っている。肉体を愛撫する歓びから、心や意識を愛撫する歓びに昇華して、ついには魂との融合に至る。
インスタントな自分さえ良ければいい、というようなマスターベーション的交わりでは味わえない境地。これは実地の鍛錬や指針が必要な気がします。
アダム徳永さんをはじめ、気品ある性のマスターもいらっしゃるようです。
人間である限り、疲れるセックスから無限大になれるセックスに、移行できるのです。
セックスは愛の起源だ。社会基盤のルーツだ。セックスが完璧であれば、その拡大した人間集団の社会は完璧だ。今の社会には愛がない。はっきりと言うが、九九という膨大な情報と物には溢れているが、たった一つの愛がない。
たった一つの愛がないかれこそ、だからこそこれほどまでに膨れあがった情報であり、物の世界だ。愛があったならばこれらの情報を求める必要はなかった。物を追い求めることもなかった。愛がないから代用の情報と物が必要だったことを、現代社会は逆証明している。
神々の世界にも、自然界の動植物たちにもこんな過剰はない。彼らには要らないのだ、彼らの存在そのものが愛であるから、愛に生きている、満たされているからだ。人間だけが欠乏で走り続けてここまできてしまった。
人間界最高の歓びが抱き合う歓びだ、これよりも強い歓びを僕は知らない。これがあれば、すべては要らない。これ以外は何も要らないが、たった一つこれが人生にないとしたらなんという空しさだろう。
ある人は経済的・社会的成功や社会貢献を願い、ある人は、愛だ、神だ、祈りだ、というけれど。
目の前の人と・・・・夫と、妻と・・・愛する人と・・・・悦んで抱き合えていますか?
心から喜べていますか?
私が修行第一からこちらにテーマを転じたのも重大な「片手落ち」だと感じたから。
愛する人との肌と肌の触れ合いは女性という性を選んで生まれた自分の命を満たしこれ以上の幸せはないと感じるもの。
セックスは逃げも隠れもできない、自分すべてをさらけ出す行為。すべてを受け入れ合う行為。
強力な命そのものの自己肯定。
やさしさもエゴも性の現場では隠せない。
ここから逃げないで向き合うことが人生がうまくいく基礎となると思います。
自分が気持ち良くて相手も最高に気持ち良い、って状態が人間関係で成立したらサイコーですから!
性が満たされていたら、自然に笑顔になる、だって、幸せだもん。
ほかのことがんばってもどこかで嘘になる。
からだにも知性があり、求め求められることを欲してるの。
からだが幸せじゃないのに心がどうして幸せになれる?
性のことはあまり公に語ることに慣れてない、だからこそ、語っていきたい、語ることで真剣に考えたい。
子供達にも伝えたい。
性とパートナーシップに問題を抱えている方、興味のある方、もっともっと幸せになりたい方
クリスマスを語って過ごしませんか?
10~15時、ランチとパートナーシップのリーディング付で参加費3000円です。
山田鷹夫さんに来年はチバハウス来ていただこうと思ってまーすヽ(^。^)ノ
チバU子

チバU子
・・・・と言ってもどんなものがわかりにくいですよね。
今、なぜ「性」かをお伝えしてみようと思いました。
今、山田鷹夫さんの名著「超愛」を読んでいます。
山田鷹夫さんは時代の最先端すぎて理解できない方が多いのは少々残念ですが、私にとってはスーパースター(笑)
これまで性に関する本で感動したのは千賀一生さんの「タオコード」
夏目祭子(櫻祭子)さんの「知られざる最強の創造エネルギー なぜ性の真実『セクシャルパワー』は封印され続けるのか」
などがありましたが、「超愛」は表紙にドン引きされるかもしれませんが、内容は素晴しいです。
いろんな方々が性愛やパートナーシップについての発信をどんどんされるようになったのは偶然でもなく、人類の過渡期に必要な重要な動きだとつくづく思う次第です。
「超愛」その中で私が「膝を手で打ってしまう」ポイントを少しご紹介いたします。
あらゆる情報はお金を取ってまで教えるという親切さだが、セックスに関しては誰も声高に伝えない。セックスこそが愛の究極で、男と女を真に融合させるもので、この失敗がすべての争いの発端だとはだれも言わない。人類がセックスをマスターしたならばあらゆる問題は解決されるとは、だれ一人言わない。<中略> なんの努力もいらない。根源をあるべき常態に戻せば、そこから発生したすべての不調和は解消される。<中略>人類の病気は、つまり不調和の原因はセックスの失敗にある。
私たちの命が生まれる大元の大切な行為であるにも関わらず、私たちはそれをうまく扱うことも生かすこともできず右往左往している。
セックスの初期は肉体の歓びにあるけれど、それを極めていった先には肉体を超えた歓びが待っている。肉体を愛撫する歓びから、心や意識を愛撫する歓びに昇華して、ついには魂との融合に至る。
インスタントな自分さえ良ければいい、というようなマスターベーション的交わりでは味わえない境地。これは実地の鍛錬や指針が必要な気がします。
アダム徳永さんをはじめ、気品ある性のマスターもいらっしゃるようです。
人間である限り、疲れるセックスから無限大になれるセックスに、移行できるのです。
セックスは愛の起源だ。社会基盤のルーツだ。セックスが完璧であれば、その拡大した人間集団の社会は完璧だ。今の社会には愛がない。はっきりと言うが、九九という膨大な情報と物には溢れているが、たった一つの愛がない。
たった一つの愛がないかれこそ、だからこそこれほどまでに膨れあがった情報であり、物の世界だ。愛があったならばこれらの情報を求める必要はなかった。物を追い求めることもなかった。愛がないから代用の情報と物が必要だったことを、現代社会は逆証明している。
神々の世界にも、自然界の動植物たちにもこんな過剰はない。彼らには要らないのだ、彼らの存在そのものが愛であるから、愛に生きている、満たされているからだ。人間だけが欠乏で走り続けてここまできてしまった。
人間界最高の歓びが抱き合う歓びだ、これよりも強い歓びを僕は知らない。これがあれば、すべては要らない。これ以外は何も要らないが、たった一つこれが人生にないとしたらなんという空しさだろう。
ある人は経済的・社会的成功や社会貢献を願い、ある人は、愛だ、神だ、祈りだ、というけれど。
目の前の人と・・・・夫と、妻と・・・愛する人と・・・・悦んで抱き合えていますか?
心から喜べていますか?
私が修行第一からこちらにテーマを転じたのも重大な「片手落ち」だと感じたから。
愛する人との肌と肌の触れ合いは女性という性を選んで生まれた自分の命を満たしこれ以上の幸せはないと感じるもの。
セックスは逃げも隠れもできない、自分すべてをさらけ出す行為。すべてを受け入れ合う行為。
強力な命そのものの自己肯定。
やさしさもエゴも性の現場では隠せない。
ここから逃げないで向き合うことが人生がうまくいく基礎となると思います。
自分が気持ち良くて相手も最高に気持ち良い、って状態が人間関係で成立したらサイコーですから!
性が満たされていたら、自然に笑顔になる、だって、幸せだもん。
ほかのことがんばってもどこかで嘘になる。
からだにも知性があり、求め求められることを欲してるの。
からだが幸せじゃないのに心がどうして幸せになれる?
性のことはあまり公に語ることに慣れてない、だからこそ、語っていきたい、語ることで真剣に考えたい。
子供達にも伝えたい。
性とパートナーシップに問題を抱えている方、興味のある方、もっともっと幸せになりたい方
クリスマスを語って過ごしませんか?
10~15時、ランチとパートナーシップのリーディング付で参加費3000円です。
山田鷹夫さんに来年はチバハウス来ていただこうと思ってまーすヽ(^。^)ノ
チバU子

チバU子
Posted by U子 at 19:58│Comments(1)
この記事へのコメント
山田鷹夫さんの言うセックスこそが究極の愛だとしたら、
愛する子供や親、あるいは看病している病人や怪我人ともセックスをしなければいけないのでしょうか。
別にセックスだけが愛ではないし、親子の愛情や、
弱者への慈悲の心も一つの愛だと思うのですが。
愛する子供や親、あるいは看病している病人や怪我人ともセックスをしなければいけないのでしょうか。
別にセックスだけが愛ではないし、親子の愛情や、
弱者への慈悲の心も一つの愛だと思うのですが。
Posted by ジャック・リー at 2017年01月26日 02:07