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2014年09月21日

悟りたい病 再発!

私がヨーガを始めたのは悟りたかったから。
ブッダやキリストと同じ境地を味わいたかった。
ヨーガの聖者(ユクテスワ、ヨガナンダ、シヴァナンダ、ヴィヴェーカナンダetc.)にシビレまくり、感激の涙なしには自叙伝などを読めません。
ヨーガをする人の中で悟りたい人たちはホントに少数だと知った時はかえってビックリしました。

今回始めた合気道でもその境地を武道の世界で味わいたいという思いです。
創始者である植草盛平翁の言葉が書かれた本を読みヨーガにおいても目指してきた同じ世界観がそこにあり、「宇宙、そのすべてとの和合」を思い描くとホントまたシビレてきます。
しかしながら、実際の稽古は宇宙を感じる余裕もなく、ひょろひょろで右も左もわからなくなるし惨憺たる状況。
継続と努力しかないので、時間さえあれば稽古場に出かけてます。
盛平翁の本や言葉についてお聞きしたいし知りたいのですが、もしかしてヨーガと同じなのかなあとまだちょっと遠慮気味。
そんな仲間がいるといいです。

素晴しい伝統も、真髄が世の人たちにはわかりにくいとはしょられてしまいます。
あるいはパワーがあることがわかると迫害されることもあります。
形にそのエッセンスが残っていてそこから伝わものがあるとは思いますが。
ヨーガでもアーサナだけでは悟ることはできないです。
先日マントラを唱えるって珍しいですね、インドのスワミジのヨガでは毎回唱えてましたが~と生徒さんから言われたのですが、マントラを唱えるって伝統に敬意を表して、神々に敬意を表して、場を整えるお祈りでもありますから、大切にしたいと思っています。
祈りと共にヨーガがなくてどうするのかと。
おそらく、合気道にもそのようなものがあったのではないかと思います。 

神々が天と地のあいだに人を造ったのは、人を触媒にして光をもたらすため。
私たちのひとりひとりが心の曇りを取り払って、のびのびと輝かなくてはなりません。

きっと、悟るっておおげさなことではないのですね!

  


Posted by U子 at 21:20 Comments( 0 )